安岡 正篤一日一言 10月


安岡 正篤一日一言 10月

安岡 正篤一日一言(名言) 10月1日 新秋清警

一、新秋なり。

暑中の惰気(だき)を一掃し、
颯爽(さっそう)として
清健の気を振起すべし。
一、読書の好季なり。

早暁(そうぎょう)・深夜、古教・心を照し、
心・古教を照すべし。
一、日新の世界なり。

活眼を宇宙に放って、気宇・識見を遠大にすべし。
一、日本の危機なり。

匹夫(ひっぷ)・責有るを知って、
祖国と同胞の為に尽瘁(じんすい)すべし。

安岡 正篤の一日一言(名言) 10月2日 縁尋機妙 多逢聖因

良い縁がさらに良い縁を尋ねて発展していく様は
誠に妙なるものがある──
これを縁尋機妙(えんじんきみょう)という。
また、いい人に交わっていると良い結果に恵まれる
──これを多逢聖因(たほうしょういん)という。
人間はできるだけいい機会、いい場所、いい人、
いい書物に会うことを考えなければならない。

安岡 正篤の一日一言(名言) 10月3日 画になる顔(1)

人間は学問・修養次第で、たとえ木偶(でく)の
ような人間でも、風韻(ふういん)とか韻致(いんち)
・気韻、或は風格というものが出て参ります。
賢者は賢者なりに、愚者は愚者なりに「趣」が
出て参ります。たとえば山寺の小僧にしても、
初めは如何にも泥芋みたいな無骨者ですが、
だんだん修行を重ねてきますと、その不細工な
ぼくねんじんに、どことなく風格・風韻が
出て参ります。私はよくその例に宇垣大将を出します。

安岡 正篤 一日一言(名言) 10月4日 画になる顔(2)

私もいろいろな軍人や政治家と懇意にしましたが、
その中で今まで一番醜男(ぶおとこ)だと思ったのが
この宇垣大将です。頭から目、口、鼻とよくもまあ
これだけ不細工な男があったものだと思われる
ぐらいの醜男でありました。ところがそれが
全体としての一つの相になりますと、これが何とも
いえぬ魅力があるのです。風格・威厳があって、
いわゆる画(え)になる顔でありました。
やっぱり宇垣さんの修養の致すところでありましょう。

安岡 正篤一日一言(名言) 10月5日 慈心と仁心

器量が大きそうに見える人で、ときどき「断」を
欠く人物がある。人物は見識と勇気をもって
よく断じなければ実行が立たない。特に悪を
除くのに対して、気が弱く、同情心などから
ぐずぐずしていると、大罪悪を犯すことになる。
この同情心、甘やかす心を慈心とし、これに対する
大きな天地生成化育の心を仁心とし、仁心に
よってよく断ずることができる。

安岡 正篤一日一言(名言) 10月6日 才と徳

“才”という字は名詞では働き・能力の意だが、
副詞だと“わずかに”という意味になる。
能力というものは非常に大事なものだが、それだけでは
わずかなものにすぎない。”才”の大事さを充分に知りつつ、
わずかにと訓(よ)ませることは大変なことだ。
昔の人の識見の高さをみることができる。

安岡正篤一日一言 10月13日 人間は性情の良し悪し

情緒の潤滑油が乏しいせいで、知性も軋(きし)んで
円通しない。この頃は話のわからぬ人間がふえたようである。
しがない者はしばらく置いて、ちゃんとした指導的立場
にある知識人であって、とんとわけのわからぬ者が少くない。
もっともマキャベリがすでに指摘しているが、
人の頭には三通りある。
その一は、自分ではっきり考の立つもの、
その二は、他人の考がよくわかるもの、
その三は自分の考もなく、他人の考もわからぬもの。
他の所で、彼は又、どうせねばならぬかを自ら知る者は上の人、
次は、他人の善(よ)い勧告を用いる人、最下は、
自ら人に忠告するすべも知らず、又人の忠告にも
従わぬ人間であることを挙げて説いている。
頭の良し悪しというが、それよりも根本的に大切なことは、
やはり性情の良し悪しである。我執の無い、よく人と
打融(うちと)けあえる性情の人は自然に頭が良く、
自分自身知見が立たずとも、賢者の意見を能く判断して
用いることができるから、なまじい私見が立つより、
もっと頭の良いことにもなるのである。

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